インド旅〜北インド・ガンガー編・Rishikesh
前回の続きです。
前回から随分と・・・
時間が空いてしまいました(^^;;
インド旅日記🇮🇳
マイペースに続いていきたいと思いますので
今回はインド旅の前半・
北インドで訪れた聖なる川
ガンガーの事を書きたいと思います。
ここには、いつの日か訪れて、
ヒマラヤ山脈からコルカタへと流れる大河。
北インドで訪れた学校が、ヨガの聖地・リシケシとヒンドゥー教の聖地の一つハリドワールのちょうど真ん中に位置する学校でした。
北インド滞在中、学校がお休みの日に、
相乗りの力車に乗り、リシケシ方面へ行きました。
北インドはどこへ行っても人が沢山で
力車もぎゅうぎゅう、道も渋滞、クラクション鳴らしながら走る
カーブの道では大きなトラックが横転していて荷物が散乱!
周りの人はちょっと興奮気味!
お店も人いっぱい、昔の竹下通りみたいに人いっぱい。
リシケシの街にはヨガのアシュラムもたくさんあるので、世界中からヨガを学びに来ているヨギー達が歩いていました🧘
ガンジス川沿いのカフェ🍹
カフェにはヨガを学びに来ているのであろう、様々な国の人がいて、国際色豊かなリシケシ。
初お目見え。リシケシのガンジス川。
川幅も何もかもがとても広大でした!
想像していたよりも水量も多く、流れも速く、茶色く濁っていて、深さは不明。。
ガンジス川はその深さと濁りと流れで
何もかもをまるっと飲み込んでしまうような、勢いと雄大さを兼ね備えた、大きな大きな川でした。
川沿いは「ダート」といって階段形式になっており、川の水量が増えても減っても、好きな深さでガンジス川に入れるようになっています。
川向こうにはポールが点在してはいるのですが、特にちゃんとした柵があるわけでもありません。
もしうっかり流されたとしても、助けることも、助けられることもないであろう
そのまま永遠に川に流されていくでしょう・・・
完全なる自己責任の世界。
開放的〜!
インドに行って感じたことの一つとして
「死」が普通に身近にあるということでした。
そしてそれは決して悪いことだけではないのだな、ということです。
インドの人は、夕方になるとガンジス川に家族や友人とで訪れて、沐浴やプージャを行います。
「沐浴」をすることは「すべての罪を浄化する」と言われていて
老若男女、子どももみんな、楽しそうに沐浴をしていました。
「あぁ〜豊かだな〜!全部あるんだ〜!」と感じました。
「濁り」って、「豊か」なのだということがここリシケシでの新たな気づきでした。
それは
4.5年程前に、屋久島を訪れたことがあったのですが、屋久島の自然の美しさ
あの透明で清涼で、心も身体も魂も洗われるような、聖なる森と、透き通る水が湧き出して出来た川の美しさ、自然から放たれる透明感とその神聖さにとても感動したのですが
ガンジス川の大きく濁った川は
その時の屋久島で感じた神聖さとはまた違い
まるでいろんな絵の具を混ぜた後の色水みたい。
それはなんというか、絵の具で絵を描いた際に、バケツで筆を洗いますが、洗うたびにいろんな色が混ざり合って水が濁っていく様を連想させました。
「全部ある・含まれている」
なんというか
清濁あわせ持つ・そんな雄大さと神聖さを感じました。
全部含まれてる・・・これってすごいなぁ〜!!と思いました。
「沐浴するとすべての罪が浄化される。」
そんな風に伝えられている意味が少
しわかった気がしました。
「生」も「死」も包み込み、飲み込む、ガンガー。
インドの人たちは
家族や友人とそんなガンガーに訪れて
沐浴をして、花籠を流したり、火を灯したり、お香を焚いたりして
手を合わせてお祈りをしていました。
ここは神聖な場所なのだということと同時に
家族や友人達と夕日を見ながらお祈りをし
一日の終わりのホッとできるようなひと時のようにも見えました。
それはすべてのインドの人にとって今日1日の終わりにハートを温めるような、分かち合い慰め合うような、心を通い合わせるような
そんな穏やかであたたかな時間なのだな〜とも思いました。
夕日を見ながら、ボーっとガンジス川を眺め、そんなことを感じながら
異国の景色と文化の中で
まるで本の中に来てしまったような、神秘的な時間でした。
続きます。
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